高杉晋作について 坂本龍馬にあこがれて

高杉晋作について

高杉晋作とは、幕末に活躍した長州藩の尊王倒幕志士。奇兵隊など諸隊を創設し、幕末長州藩を倒幕へと向かわせました。 高杉晋作は、1839年、長州藩士200石・高杉小忠太の長男として現在の萩市に誕生。明倫館や松下村塾で学び、1858年に藩命で江戸へ遊学、昌平坂学問所などで学びました。 1860年に帰郷、山口町奉行井上平右衛門の次女、まさと結婚。

1862年に藩命で、幕府使節随行員として長崎から中国の上海へ渡航。高杉の渡航中、長州藩では尊王攘夷が台頭し、帰国後高杉も攘夷運動に加わりました。 1863年に、身分の差別のない志願兵による奇兵隊を結成、総督就任になりますが、間もなく総督解任。その後脱藩して京都に潜伏するも帰郷、脱藩の罪で野山獄に投獄されました。 イギリス、フランス、アメリカ、オランダの4カ国連合艦隊が下関を砲撃すると、晋作は赦免されて和議交渉を行いました。その後、長州征伐に来た幕府の軍隊を負かしたりするなど活躍しましたが、明治時代になる前に肺結核のため、1867年に27歳の若さで亡くなりました。

坂本龍馬と高杉晋作、同時代を生きたこの二人には親交がありました。 1866年の第二次長州征伐(四境戦争)で二人は、ともに幕府軍と戦い、長州藩を勝利に導いており、互いに尊敬しあっていたとされています。 1866年、土佐藩の坂本龍馬・中岡慎太郎・土方久元を仲介として、高杉晋作・桂小五郎・井上聞多・伊藤俊輔たちと共に進めていた薩長盟約が京都薩摩藩邸で結ばれました。その際、高杉晋作は、薩長同盟締結の確認に向かう坂本龍馬に、応援の言葉を書いた扇子を贈っています。 また、龍馬が愛用した2丁の拳銃のうちの1丁、S&Wモデル2アーミー33口径は、高杉晋作から贈呈されたものです。 ともに新しい日本を築くために戦った二人は、現在、京都霊山護國神社に眠っています。