土方歳三について
土方歳三とは、幕末期の幕臣、新選組副長。1835年に武蔵国多摩郡石田村で、豪農の末っ子として誕生。両親が早くに亡くなったため、兄夫婦に育てられたとのこと。 土方歳三は、実家秘伝の「石田散薬」を行商しつつ各地の道場で他流試合を重ね修業を積んでいたころ、日野の佐藤道場に出稽古に来ていた天然理心流4代目の近藤勇と出会います。そして、1859年(25歳)に天然理心流に正式に入門しました。 1863年、近藤勇達と共に浪士組に参加し京都へ。壬生浪士組の活躍が認められ新選組が発足、歳三は、組織編成当初から副長を勤めることに。
1868年、鳥羽・伏見の戦いに始まる戊辰戦争が勃発し、近藤に代わって歳三が指揮をとりますが、幕軍はこの戦闘から賊軍と言われ、新撰組は江戸へ向かうことになります。 同年4月、江戸城無血開城が成立すると江戸を脱走、下館・下妻、宇都宮、会津、仙台へと移動。仙台で榎本武揚率いる旧幕府海軍と合流。蝦夷地に渡りました。 蝦夷・鷲ノ木浜に上陸した旧幕軍は、大鳥圭介隊と土方隊に分かれ箱館をめざし五稜郭を占領、松前城を攻略。快調な進撃をみせるが、新政府軍による総攻撃が始まり、七重浜より攻め来る新政府軍に応戦。土方歳三は馬上で指揮を執ったが、腹部に銃弾を受けて戦死。1869年、35歳のときでした。
坂本龍馬と土方歳三は、ともに1835年生まれで、幕末の時代に生きた二人です。坂本龍馬は倒幕側、土方歳三は幕府側と真っ向から対立する陣営にいた二人ですが、ともに己の信念のために時代を駆け抜けたと言えるでしょう。 坂本龍馬は、日本という国を近代国家にすることを夢見、土方歳三は、徳川家への義のために生きたと見ることができます。土方は、戦いの途中で幕府側に勝ち目がないことは知っていたようです。しかし、最後まで徳川家への忠誠のため戦い抜きました。 この二人を結びつけるのが函館。土方は函館・五稜郭で戦死。そのブロンズ像が現在五稜郭タワーの敷地内に建立されています。 一方、坂本龍馬は、北海道を新天地と考えていたようで、彼の構想は屯田兵として実現。また、龍馬の養子の坂本直が函館裁判所権判事として、一時開拓事業に携わり、現在、札幌のNPO法人が函館に坂本龍馬記念館を開設すべく準備を進めています。 坂本龍馬と土方歳三、ともに同時代を疾風のごとく駈け抜いていき、その二人を結びつけるのが函館というのはおもしろいですね。 なお、生前二人が会ったことがあるかどうかはわからないそうです。
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