海援隊について
海援隊(かいえんたい)とは、幕末に、土佐藩脱藩の浪士である坂本龍馬が中心となり結成した貿易結社。 海援隊の前身となったのは、1865年に薩摩藩の援助を得て長崎の亀山(現在の長崎市伊良林地区)で結成された亀山社中。これは薩摩藩・越前藩などをスポンサーとし、蒸気船を賃借りして海運業を営み、討幕資金を稼ぐのが目的でした。
1866年の第二次長州征伐に於いては長州軍艦ユニオン号を運営、海戦に参加して大いに活躍しました。 1867年4月、龍馬は脱藩が許されて亀山社中の隊長となり、土佐藩が引継ぎ「海援隊」と改編されました。従来の海運業に加え、討幕のため犬猿の中であった薩摩と長州の関係修復を仲介。薩摩の西郷隆盛・長州の木戸孝允(桂小五郎)を代表とする薩長同盟の締結に大きな役割を果たしたりもしました。また、「万国公法」などの西洋の出版物の翻訳なども行いました。 海援隊は、日本初の株式会社とも言われ、中岡慎太郎が隊長となった陸援隊と併せて翔天隊と呼ばれています。
総員は50名で、多くは土佐浪士でしたが、浪人なら誰でも参加することができました。 1867年に前身であった亀山社中から海援隊に改名すると、龍馬は海援隊約規を決め、船印として「赤白赤」の旗を作成しました。海援隊約規には、隊士になる条件として、脱藩者であることと、海外への志を持っていることとあり、龍馬の精神が大いに反映されていると言えます。 海援隊の職務は海運業に加え、討幕のための軍事行動まで含んでいました。海援隊は、その集大成として大政奉還を成功させ、幕末政治史に大きな足跡を残すことに。 しかし1867年、坂本龍馬が暗殺されると求心力を失って分裂し、1868年に土佐藩から解散を命令されます。その後、土佐藩士の後藤象二郎は海援隊を土佐商会として、岩崎弥太郎が九十九商会・三菱商会・郵便汽船三菱会社(後の日本郵船株式会社)・三菱商事などに発展させていきます。
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