お龍について 坂本龍馬にあこがれて

お龍について

お龍(りょう)とは、坂本龍馬と結婚した女性。本名は楢崎 龍(ならさき りょう)。京都生まれ。 お龍は、1841年6月6日、医師・楢崎将作の長女として誕生。父の将作は井伊直弼による安政の大獄で捕らえられ、獄死しています。お龍は母親や弟妹を養うため、料理屋で働いたり、天誅組残党の賂いとなったりしました。龍馬は楢崎家でも料理屋でもお龍に会ったことがあるとのこと。 1864年苦しい生活を助けるため龍馬の世話で寺田屋に預けられ、翌年、新撰組によって龍馬が襲撃された際、風呂に入っていたお龍がそれを察し、龍馬に危機を知らせて救いました。

1867年、龍馬が暗殺されたとき、お龍は豪商の伊藤助太夫のもとにいたとのこと。龍馬の葬式では気丈に振舞ったものの、皆が帰った後、一人泣き崩れたと伝えられています。 その後、いったん土佐の坂本家へ身を寄せましたが、再び京に。また、西郷隆盛や海援隊士を頼り東京に行ったりもしたそうです。 お龍30歳のとき旧知の商人西村松兵衛と再婚。横須賀に住み、アルコール依存症となり、酔うと口癖のように「私は龍馬の妻だった」とつぶやいたそうです。1906年、66歳で亡くなりました。

坂本龍馬とお龍が京薩摩藩邸に移ったのは1866年(龍馬暗殺の前年)。その1月23日に寺田屋事件が起こり、お龍のとっさの機転で、龍馬はキズを負ったものの、なんとか一命を取りとめることができました。 その後の2月末、龍馬とお龍は、中岡慎太郎が仲人、西郷隆盛が媒酌人となり薩摩藩邸で祝言を挙げました。そして寺田屋事件で負ったキズの療養も兼ねて、二人は船で九州へ向かいました。これが日本初の新婚旅行であると言われています。 当時の二人の行動を見てみると、
3月8日に「三邦丸」で長崎入港。近藤長次郎の墓参りをした後、

3月16日 日当山温泉に行く
3月17日 塩浸温泉に行く
3月28日 霧島温泉宿泊
3月29日 霧島登山、霧島神宮宿泊
3月30日 霧島温泉宿泊
4月1日 塩浸温泉宿泊
4月8日 日当山温泉に宿泊
4月12日 鹿児島に入る
6月2日 「桜島丸」で鹿児島出港

となっています。 お龍にとってこの三カ月間は、生涯心の支えとなったようです。 鹿児島市天保山町と塩浸温泉には、幸せそうな龍馬とお龍の銅像が立っています。興味のある人はぜひ、訪ねてみてください。