坂本龍馬とは? 坂本龍馬にあこがれて

坂本龍馬とは?

坂本龍馬(さかもと りょうま)とは、江戸幕府を倒すために活躍した志士の一人。1835年11月15日、土佐藩高知の下級武士の次男として誕生。本名は直柔(なおなり)と言います。 坂本龍馬を題材とした、小説や研究本、漫画、映画、テレビドラマなどは実にたくさんあります。坂本龍馬がいかに人気があるかをうかがい知ることができますね。 といっても、坂本龍馬は生前よりも死後に有名になった人物です。

人気の発端となったのは司馬遼太郎の『竜馬がゆく』。産経新聞の夕刊に1962年6月21日から1966年5月19日まで連載。文藝春秋から刊行されました。 自分で自分の道を切り開いていく行動力や体制にとらわれない自由な発想と先見性、そして非業の死、これらが合わさって、坂本龍馬という人物をより魅力的にしているのかもしれませんね。 ちなみに、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』が“龍馬”となっていないのは、フィクションとしての彼を描いたためと言われています。

坂本龍馬は、1835年に土佐藩高知城下の下級藩士・坂本長兵衛(のちの八平直足)の家に生まれました。兄一人、姉三人の五人兄弟の末っ子で、泣き虫だったと伝えられています。 そんな龍馬を何とかしようと鍛えたのがすぐ上の姉の乙女。そのかいあり、龍馬はめきめきと剣の腕前が上達し、後に剣豪として知られるようになります。
坂本龍馬は1853年、19歳の時に剣術修行のために江戸へ。同じ年、アメリカ合衆国のペリーが来航。このとき龍馬は土佐藩臨時御用として品川沿岸の警備をしていました。このペリーの来航により日本の歴史は大きく動いていくことになります。
当時の幕府は外国の要求を拒絶する力がなく、諸藩をまとめる力も弱くなっていました。日本を守るために、幕府を倒して天皇の下に統一された国家が必要だという考えが台頭し、坂本龍馬もその思想に影響を受けました。 1858年(23歳)のときに、剣術修行を終えて帰国。北辰一刀流免許皆伝。 1861年(26歳)のときに、半平太が結成した土佐勤王党に加盟して尊王攘夷運動に係わり、翌年に脱藩。再び江戸へ行くと、幕府の軍艦奉行・勝海舟の自宅へ論戦を挑みに行きます。しかし、勝の視野の広さに驚愕し、その場で弟子入りを志願。 その後攘夷論を捨てた坂本龍馬は、後の海援隊を長崎で設立。また、幕府を倒すために薩摩藩と長州藩の同盟を成功させ、大政奉還を土佐藩に提案。当時の将軍・徳川慶喜もこれを受け入れ、形式上は幕府が消滅します。 1867年11月15日、坂本龍馬は、33回目の誕生日に京都の近江屋の2階にいたところを暗殺されました。この非業の死の翌月、王政復古の大号令が発され新生日本が誕生することとなります。