基礎的事項 坂本龍馬にあこがれて

海援隊について

海援隊(かいえんたい)とは、幕末に、土佐藩脱藩の浪士である坂本龍馬が中心となり結成した貿易結社。 海援隊の前身となったのは、1865年に薩摩藩の援助を得て長崎の亀山(現在の長崎市伊良林地区)で結成された亀山社中。これは薩摩藩・越前藩などをスポンサーとし、蒸気船を賃借りして海運業を営み、討幕資金を稼ぐのが目的でした。

1866年の第二次長州征伐に於いては長州軍艦ユニオン号を運営、海戦に参加して大いに活躍しました。 1867年4月、龍馬は脱藩が許されて亀山社中の隊長となり、土佐藩が引継ぎ「海援隊」と改編されました。従来の海運業に加え、討幕のため犬猿の中であった薩摩と長州の関係修復を仲介。薩摩の西郷隆盛・長州の木戸孝允(桂小五郎)を代表とする薩長同盟の締結に大きな役割を果たしたりもしました。また、「万国公法」などの西洋の出版物の翻訳なども行いました。 海援隊は、日本初の株式会社とも言われ、中岡慎太郎が隊長となった陸援隊と併せて翔天隊と呼ばれています。

故郷の高知

坂本龍馬と言えば幕末の英雄ですが、そんな英雄を産んだのが高知県です。 高知県とはどのような県なのでしょうか。 高知県は、四国の太平洋側に位置し、県庁所在地は高知市。面積7,105.15km2、人口777,914人(2009年4月30日現在)。 高知県は北方に四国山地がそびえ立ち、千数百メートル級の山々が連なります。また、日本最後の清流といわれる四万十川をはじめ多くの清流が流れ、国定公園の室戸岬や国の天然記念物の龍河洞、国立公園の足摺岬など美しい自然を有する県です。

名言

坂本龍馬の雄弁は有名で、地球的発想で合理性を説き、弁舌爽やかに多くの人を魅了したと伝えられています。 「世の人は 我を何とも言はば言へ 我なす事は我のみぞ知る」と己の信念のもとに生き、雅号も、奔放な生き様さながらに『自然堂』と称しました。 現代でもそんな龍馬に憧れる人は多く、古いものに縛られず、志に向かって突き進むそんな坂本龍馬を思わせる名言がたくさんあります。それらのいくつかをご紹介しましょう。

暗殺

坂本龍馬は、自分の誕生日である11月15日、33歳の誕生日に暗殺という非業の死を遂げており、その真相はいまだわかっていません。 当時、坂本龍馬は、寺田屋事件で2名の捕り方を射殺した罪で相書が出回っていました。そのため、京都の醤油商・近江屋の土蔵に密室を造り、隠れ家にしていました。

運命の日、風邪気味だった龍馬は土蔵を出て、母屋の二階に移動。火鉢にあたりながら来訪していた同志・中岡慎太郎と談笑していました。そこへ十津川郷士と名乗る7人の男が訪問。2~3人の刺客が龍馬のいる部屋へ飛び込むと、龍馬の額をいきなり真横に斬りつけました。龍馬も晋太郎もあまりにも突然の出来事だった上に、刀を近くに置いていなかったため、ほとんど抵抗することもなく斬られてしまいました。

大河ドラマになるそうです

大河ドラマと聞いて真っ先に思い浮かぶのはNHKではないでしょうか。毎年違うテーマで放映している時代劇ドラマです。昨年は「篤姫」が高視聴率でしたが、今年は妻夫木聡の「天地人」が人気ですね。

そのNHKの大河ドラマ、2010年は福山雅治の「龍馬伝」とのこと。龍馬伝とは言わずもがな坂本龍馬の生涯を描いたものです。 NHK大河ドラマでは、過去にも坂本龍馬を放映しており、それは1968年の「竜馬がゆく」でした。竜馬役に北大路欣也が挑み、それ以来坂本龍馬は国民的人気者となりました。